仕事術・自己成長

成果は残した。でも、大切なものを大切にしきれなかった。

今回は、前回の記事「お客様と話さないでほしい」と言われた日 の続きです。

前回の記事について、直接感想やフィードバックをいただく機会も多くありました。

引き続き気恥ずかしさもありますが、何かしら共感していただける部分があったようで、嬉しく思います。

今回も自分の未熟さをさらけ出すようで恥ずかしいのですが、書きました。

前回の記事で書いた出来事から少し先、数年後の話です。

次に任されたのは、もっと難しいプロジェクトだった

私は同じSIerにいながら、別の部署へ異動しました。

そこでは、サービス開発したり導入したりする側ではなく、サービスデリバリーマネージャーとして、より顧客に近く、そのカウンターとして仕事をしていました。

導入したパッケージソフトやITインフラを含む、システム全体の運用・管理を担う役割です。

当時私が担当したのは、とある大手企業全社で利用される、極めて重要なシステムでした。

すでに国内のユーザーが利用している中で、大規模な変更と海外拠点のユーザー移行を同時に進めなければならない状況でした。

そしてその移行プロジェクトは炎上していました。

前のフェーズからトラブルが続いており、プロジェクトを立て直す意味合いもあって、私はメンバーとして参画することになりました。

短期間で前任者から引継ぎを受け、現行システムの運用リーダーとして、日々の安定稼働を支えながら、移行プロジェクトにも運用側として参加する、難しい役割でした。

現行システムを止めることは許されません。

サービス品質も守らなければならない。

しかし、移行期限も動かせない。

海外拠点も関わり、ステークホルダーも多い。

本当にプロジェクトが進むのか、お客様は懐疑的で、不信感を隠しませんでした。

社内の上層部からも毎週の報告を求められ、「これ以上の損失は許さない」という厳しい姿勢を示されていました。

そんな状況でした。

今振り返っても、結構しびれますね(笑)。

そして個人的には前回の失敗もありました。

だからこそ、特にお客様とのコミュニケーションには、かなり気を配っていたと思います。

実際、お客様への対応や運用リーダーとしての立ち振る舞い、プロジェクトを進める判断力やマネジメントスキルは、以前より大きく成長していたと思います。

しかし、そのプロジェクトは、当時の私にとって過去最大級のプレッシャーでした。

複数のチームと協力会社。

社内外の海外メンバー。

重要度の高いシステム。

厳しいスケジュール。

会社として、これ以上失敗できない状況。

そして、不信感を持つお客様。

当時はそれを俯瞰して客観的に認める余裕もありませんでしたが、肉体的にも精神的にも、かなり追い込まれていきました。

極限状態の日々

終電を逃し、タクシーで帰るのは当たり前。

土日も関係なくPCを開いていました。

深夜、いつ鳴るか分からないシステムトラブルの着信に怯える夜。

翌朝の業務開始までに、何とかしなければならないプレッシャー。

家に帰っても、頭の中からプロジェクトが離れることはありませんでした。

家族にも相当な負担をかけていたと思います。

それでも当時の私は、立ち止まることも、手放すこともできませんでした。

今思うと、よくつぶれなかったな、よく投げ出さなかったなぁ、という気持ちです。

これは、前回の失敗に対するリベンジなのか、意地だったのか、責任感だったのか、何だったのでしょうね。

椅子を蹴ったあの日

運用作業の改善方法を何度もすり合わせても思うように改善されませんでした。

同じことが繰り返されていました。

お客様にも、どう報告していいかわからない。

たぶん、私の中で何かが切れたのだと思います。

そんな折、私は運用作業を担う協力会社の部長を会議室に呼び出しました。

そして感情を抑えられず、大きな声を上げ、その部長の前で椅子を蹴り飛ばしていました。

今思い出しても、とても恥ずかしい出来事です。

言い訳をするつもりはありません。

キャリアの中で、ここまでいってしまったのは、後にも先にもこの一度だけです。

そしてそれ以上に、どのような事情があったとしても、許される行為ではありませんでした。

ただ当時の私は、

「メンバーのスキルが不足している」

「言ったことをちゃんとやらないからだ」

「自分で考えて動けないのか」

「自分は指示すべきことはやっている、間違っていない」

そう思っていたのだと記憶しています。

ただ、あの怒りの正体は、何か別のところにあったのかもしれません。

私は怒っていたというより、不安だったのだと思います。

失敗することが怖かった。

責任を果たせないことが怖かった。

うまくいかない自分を認めるのが嫌だった。

その不安やプレッシャーを自分の中でうまく消化できず、溜まりに溜まったものが、怒りという形で爆発してしまったのかもしれません。

怒ることで自分を何とか保っていた。

怒ることで前に進もうとしていた。

でも、本当に必要だったのは、怒りを力にして踏ん張り続けることではなかったのだと思います。

自分が耐え続ける以外の方法を、もっと本気で探すことだったのかもしれません。

当時の私は、仕事上の状況について、上司への報告や相談をしていました。

必要な支援もお願いしていました。

数年前の失敗の頃とは違い、根拠もなく一人で突っ走っていたわけではありません。

状況を俯瞰し、誰に相談すべきか、どのようにお客様と話すべきかを考える力も、以前より身についていました。

それでも、自分自身の苦しさや限界については、あまり言葉にしていなかったように記憶しています。

「ここで自分が踏ん張らなければ、プロジェクトはもっと悪くなる」

そんな思いが、私の中には強くありました。

それは、前回の記事で書いた頃のような、勢いだけの行動とは違いました。

目の前の状況を考えたうえで、「今は自分が踏ん張るべき時だ」と判断していたのです。

その判断自体が、すべて間違っていたとは思いません。

実際、こういう状況では、誰かが踏ん張らなければならない局面もあります。

ただ、その状態を長く続けすぎていました。

上司への相談や状況共有はしていた。

必要な支援も求めていた。

それでも心のどこかで、

「最終的には、自分が何とかするしかない」

と思い続けていたのです。

上司からも、

「長尾がいるから、何とか持ちこたえられるだろう」

そんなふうに見られていたのかもしれません。

私自身も、その期待に応えなければならないと思っていました。

今思えば、責任感そのものが問題だったわけではありません。

問題だったのは、自分が踏ん張り続けることを、ほとんど唯一の選択肢にしてしまったことだったのだと思います。

もっと早い段階で体制や役割を見直すこともできたかもしれない。

自分の心身の状態も含めて、周囲に伝えることができたかもしれない。

チーム全体で負荷を引き受ける方法を、もっと粘り強く探すこともできたかもしれません。

プロジェクトは成功した。でも…

この移行プロジェクト自体は、何とかやり切りました。

薄氷を踏むような状況の中でも、その後の運用やさまざまな問題も何とか乗り越えました。

お客様との関係も守ることが出来ました。

着任してから、2年半が過ぎていました。

一定の成果は出せた。極限状態の中でも、やり切ることができた。

それでも私の中には一つの引っ掛かりが残っていました。

達成感とは別に、違和感が残ったのです。

それが、チーム、特に協力会社のメンバーとの関係でした。

プロジェクトを進める中で、立場や役割の異なる人たちを、大切にできていたとは言えなかったことです。

なぜ、もっとついてきてくれないのか

今だから言いますが、特に協力会社のメンバーとの関係は、決して良いものではありませんでした。

私は、相手のミスや言い訳にはかなり敏感でした。

自分と同じ温度感でプロジェクトに向き合ってくれないことにもイラついていたと思います。

でも相手の立場や苦労を理解しようとはしていなかった。

いや、それは頭では分かっていても、心では許していなかったのだと思います。

当時の私は、

「なぜみんなもっと真剣にやらないんだ」

と思っていました。

けれど、問題は周囲の温度感だけではありませんでした。

「なぜ、みんなもっと自分についてこないんだ」

その不満の背景には、自分自身の余裕のなさや、周囲への態度もあったのではないかと思います。

ここで、一つ想像してみます。

今の私が、当時の私のチームにいたらどう思うだろうか、と。

上司から見れば、当時の私は、「責任感が強く、任せておけば動いてくれる人」だったのかもしれません。

何も言わなくても仕事を拾い、問題が起きれば前に出る。マネジメントする側にとっては、頼りやすい存在だったと思います。

でも、チームメンバーから見た私は、まったく違ったのではないでしょうか。

責任感はある。

行動も早い。

けれど、人にも同じ熱量と基準を求める。

要求が高く、いつもどこか張り詰めている。

正直に言えば、今の私は、あの頃の私とはあまり一緒に働きたくありません。

もちろん、当時のプロジェクト自体も、構造的には非常に厳しいものでした。

誰か一人の努力だけで解決できるものではなかったと思います。

ただだからといって、自分の振る舞いまで正当化できるとは思っていません。

気づいたのはずっと後だった

不思議なことに、こういったことに気づいたのは、ずっと後になってからでした。

プロジェクトが終わった直後ではなかったと思います。

仕事や人生そのものを少しずつ見直していく中で、

「あの時、本当に変わるべきだったのは、周りではなく自分だったのかもしれない」

そう思うようになりました。

それは、決して何か一つの瞬間に、ふっと分かったわけではありません。

少しずつ、徐々にです。

当時を振り返ることは、簡単ではないと思います。

特に、苦しい思い出や、うまくいかなかったことを見つめ直すと、自分の弱さや醜さが、嫌でも目に入ります。

それは苦しく、時には目を背けたくなる作業です。

自分自身に、正面から向き合わなければならないからです。

でも、それでも多分自分は、それらと向き合ってでも、変わりたいと本気で思っていたのでしょう。

そして当時は、それでもまだ気づけませんでした。

本当に変える必要があったのは、仕事の進め方だけではありませんでした。

プレッシャーの中にいる自分と、どう向き合うのか。

そして、立場や役割の異なる人と、どう向き合うのか。

そのことに気づくまでには、もう少し時間が必要でした。

そして私は、長年お世話になった会社を離れ、次の環境へ進む決断をしました。

コロナ禍の真っただ中の、あの夏です。

その時はまだ、この経験が、その後の自分の働き方や、自分自身との向き合い方、そして人との向き合い方を大きく変えていくとは、思ってもいませんでした。

でも、今振り返れば、あの頃の苦しさも、次の一歩につながる途中だったのだとはっきりと言えます。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。